8月に夏の暑さがツラくなってくると、いつも堤明彦さんの自宅に取材した時のことを思い出す。「クルマは道具」という持論のもとに190Eを乗り続けていた堤さんにとって、「家も道具」なのである。出来合いで済まさず、目的と手段に吟味を重ねた家にお住まいだった。
 思い出すのは、「軒のヒサシを長めに取ると、直射日光をかなり遮れて暑くなりませんよ」というアドバイスだった。実に適確かつ実際的で感心させられたのだが、借家住まいの身が続いているので、未だに試すことができないでいる。
 記事の再掲載をお願いする電話をすると、堤さんはもう190Eには乗っていなかった。2010年に入ってから故障が頻発するようになり、13万kmあまりを走ったところで手放してしまった。
 ウオーターポンプ、ワイパーなどが続けて壊れた。旅行先の上高地でオルタネーターが故障して発電
せず、向こうのヤナセでバッテリーを購入し、念のためにエアコンを掛けずに帰ってきたこともあった。
「だいぶカネが掛かりましたよ。でも、クルマはあくまでも道具なので、壊れてばかりいるクルマに乗り続けるわけにはいきません」
 でも、190Eとそれを生み出したメルセデスベンツの思想に強く共感していた堤さんに、代わりのクルマが見付かったのだろうか。もしかして、程度の良い190Eでも見付けてきたのだろうか?
「プリウスですよ。“これでいいのかな?”とも思いましたが、便利な道具です」
 190Eはトヨタが10万円で下取った。
「リッター20km走りますから、190Eより3倍くらい経済的です」
 プリウスを190Eの後継車としてでなく、まったく違うものとして捉えているようだ。
「道の感覚が伝わってくるのがメルセデスベンツでしたが、プリウスはヒューンという走行音で空を飛んでいるような感じです」
 堤さんは満更でもない感じだった。たしかに、プリウスは21世紀の道具としてのクルマかもしれない。

週刊・金子浩久 第7号 10年10万kmストーリーアーカイブ7回
(2012年11月17日発行)




「10年10万kmストーリー」アーカイブ7

納得できたものだけを長く使おう

堤明彦さんとメルセデスベンツ190E(1991年型)
19年
9万9000km
写真・三東サイ

●駐在中の楽しみ

 今から20年近く前、駐在先のサウジアラビアで、堤明彦さん(50歳)が日本から送られてくる新聞を楽しみにしていたのは、記事を読むためだけではなかった。
 メルセデスベンツ日本の広告を心待ちにしていたのだ。メルセデスベンツのクルマ造りのポリシーを巧みなキャッチコピーとボディコピーで伝えようとしたものを、憶えている人もいるのではないだろうか。
 長めのボディコピーは、噛んで含めるように書かれており、良く言えば啓蒙的。悪く言えば説教臭かったが、意図的に美辞麗句で終わらせない書き方が広告らしさを隠すのに成功していた。堤さんは、それらの広告を切り取り、一緒に帰国し、今でも大切に保存してある。
『メルセデスは高すぎますか?』のキャッチコピーで始まるものは、以下のように続いている。
『たしかに、私たちがお届けしている自動車の価格は、世の中全体から見るとかなり高いレベルにある。(中略)メルセデスは「価格を先に決めてから生まれる自動車」ではない』
 堤さんが、切り抜いてまで広告を取っておいたのは、帰国したら190Eを買うつもりだったからだ。 29歳で、石油化学プラントを輸出するためにサウジアラビアに駐在するまで、堤さんはいすゞジェミニに10年間乗っていた。
「“機械の道具”として最高と思っていたメルセデスに乗ってみたかったのです。91年に掲載された『メルセデスの嘘』という回には、感動しました」
 遠く日本を離れて読むメルセデスベンツ日本の広告は、選択が間違っていないことを証明してくれ、強く背中を押した。高価な4ドアセダンをまだ独身だった堤さんが購入することに、風当たりは強かった。
 まるで、そうした堤さんのようなポテンシャルユーザーを想定したかのような、次の広告もある。
『メルセデスは年配向きの自動車と、思われるのだろう』と題された広告がある。
『もしも、あなたの身近にいる若い人が、メルセデスを選んだとします。そのとき、あなたはまず、どんなことを感じますか? 年配の人なら納得する。でも、若い人だとなぜか妙な気持ちになる。そんなことはありませんか? メルセデスを、贅沢の限りを尽くしたクルマだと思っていたり、凝りに凝った趣味のクルマだと思っていたら、いますぐその考えは捨てて下さい』
 駐在中に、勃発した湾岸戦争に巻き込まれた。イラクがクエートに侵攻し、スカッドミサイルの射程距離の外まで逃げた。運転手付きのメルセデスを10台を雇い、駐在員全員で西へ2000km逃走した。
 メルセデスを最高の道具と考えるようになったキッカケは何だか思い出せないと堤さんは答えるが、この逃走劇もどこかでメルセデスへの信頼感をより強固にすることに作用しているのではないだろうか。

●190Eにシビレっ放し

 '89年の日本経済新聞に掲載された広告では、190Eの特別装備限定車の価格は485万円。当時でも、現在でも、32歳の独身商社マンが買うのには高価で、立派すぎるだろう。駐在手当が「十分に貯まった」ので、帰国後すぐにヤナセから新車で購入することができた。
 会社のヨット部に所属していたので、週末にはマリーナに通った。190Eは、期待通りに堤さんを魅了した。
「高速道路での路面に吸い付くような安定感の高さは、メチャクチャいいですよ。結婚して、妻に運転させても、“スピードを上げるほどに安定していく”と驚いていましたから」
 高速道路だけでなく、近所の買い物などでも190Eの実力の高さを知らされた。車内空間の広さも、乗り続けていくうちに実感していった。
「頭上に拳がひとつ入りますからね。最近のクルマは狭い。レクサスISは窮屈でした。同じトヨタでも、プロボックスは道具として優れていると感じました」
 190Eのテールライトも、感激させられたもののひとつだった。この頃のメルセデスに共通して、凹凸がハッキリしている。雪や泥を被っても、走行中の空気の流れによって拭い去り、後続車から見えにくくならないように造られている。知恵であり、技術であるが、商品としてのの説得力が高い。
「スロットルペダルが重い上に、2速からの発進ですから、一般道では、トロさが目立ちます。でも、それが“急発進をさせないため”という理由付けがキチンとなされているところにも、シビレちゃうんです」
 堤さんは190Eにシビレっ放しなのだ。それでも、不満に感じるところはないか訊ねると、堤さんは長考の末に答えた。
「エアコンの効きが弱くなってきたところですかねぇ。ガスは毎年補充しています」
 燃費も、高速道路で14km/l、一般道で6km/lと隔たりが大きいが、
「年間5000kmぐらいしか走らないので、あまり関係ないです」

●ヤナセに全幅の信頼を置いて

 190Eには、純正オプショナルの6連装CDチェンジャーが付けられているだけで、カーナビはない。他には、ずいぶんのちに、ヤナセでETCを付けただけ。
「“あと付けモノ”は汚いので、付けません」
 潔癖性で、ちょっとコンサバかな。でも、190Eを言葉通り“道具”と割り切っているので、ボディの細かなキズなどはタッチアップペイントを自ら塗って済ませている。
 しかし、メカニズムの手入れに関しては購入したヤナセに全幅の信頼を置き、任せている。
「ひとりの優秀なメカニックにずっと面倒を見てもらっています。今まで、大きなトラブルはありません」
 水漏れがひどくなってきたラジエーターを02年に、トランスミッションを07年に交換した。トランスミッションは純正リビルド品で45万9921円もした。
「インターネットで、もっと安い業者も見付けましたが、純正品にヤナセで交換する高価さには意味があると思っています。中途半端にケチったら、あとで損しちゃう」
 エンジンマウントやサスペンションのブッシュなどのゴム部品を交換したら、効き目が大きかった。
「元のゴム類が、いい感じにヤレているんですよ。乗り心地が新車並みに戻りますよ。このクルマは、手を入れながら長く乗るクルマなんです」
 堤さんは、クルマだけでなく、家や身の回りのものなど、納得できたものだけを長く使おうとしている。家は新築したばかりだが、3年間独学ののちに工務店を見付け、山まで木を見に行った。
「ボンネットの先端が見えると、安心して運転できますね」
 世田谷の細い路地を右に左に抜けながら、堤さんは190Eの優れたところを指摘する。たしかに、コンパクトな割に重厚な乗り心地は独特のものだ。もう、高価で、立派過ぎるようには見えない。

 

『NAVI』誌2009年11月号より転載

いまは無き『NAVI』誌で、1990年3月号から2010年2月号まで、二度にわたって長期連載していた
「10年10万kmストーリー」は4冊の単行本にまとめられている。
しかし、まだ収められていないストーリーがたくさんあり、切り抜きを収めたスクラップブックを
ときどき引っ繰り返してはパラパラやっていると、その後のみなさんの様子が気になってくる。
変わらず元気に過ごしているのか?
まだ乗り続けているのか?
それとも、他のクルマに乗り換えてしまったのか?
独特な形状をしていたドアミラーにも理由があった。
自宅ガレージにて190Eに絶大な信頼を寄せていた
堤さん。
購入するキッカケとなったメルセデスベンツの新聞広告
コンディションや整備内容などを記したノート。

●メルセデスベンツ190Eとは?
 1982年のフランクフルト自動車ショーでデビューしたメルセデスベンツの本格的小型車。いわゆる5ナンバーサイズのボディに、当初は2リッター4気筒ガソリンエンジンを搭載して始まったが、5気筒ディーゼルや6気筒ガソリンなど、のちにさまざまなエンジンが搭載されることになる。小さくても、造りや仕上げなどは上級のメルセデスと何ら変わることがないところが、高く評価された。88年にマイナーチェンジを受け、93年に終了し、Cクラスにその座を譲るまで約190万台が生産された。

ブルーのシートはこの時代のメルセデスに特有のものだ。
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アルバムに貼られた納車時の写真が初々しい。