森村恭一郎さんのスプリンター・トレノの走行距離は、現在39万8000km。もうじき40万km。2本目のフジツボ製マフラーに2012年秋に交換したところだ。
「調子いいですよ」
 森村さんに会った2008年には、本文中に書いた通りにトレノの後継となるようなクルマをトヨタは造っていなかった。しかし、トレノの後継というわけではないのかもしれないけれども、トヨタは86というクルマを造り始めた。正確に言えば、提携先である富士重工業に“造らせて、売っている”。
 そこが森村さんには気に入らない。
「トヨタともあろうものが、鳴り物入りのクルマであるかのように宣伝しておきながら自分のところで造っていないなんて」
 電話から聞こえてくる森村さんの声は、5年前と変わらず、ハッキリとしていて力強い。論旨も明確だ。86が精神的なバックボーンとしているトレノに40万km近くも乗り続けている人の言葉として説得力がある。
 86という車名にも共感できない。ユーザーやマニアたちが仲間内の符丁として使っていた“ハチロク”をメーカー自ら持ち出してきて、いったい誇りというものはないのだろうか!?
 カローラ・レビンやスプリンター・トレノという由緒ある名前があるではないか!?
 同感する。森村さんは正論の人なのである。ユニクロや最近の楽器メーカーのモノ造りの姿勢についても同じように論じていた。粗製乱造ではないか!? 魂を込めてモノを造るべきだ、と。同感だ。

週刊・金子浩久 第13号 10年10万kmストーリーアーカイブ12回
(2013年1月26日発行)


「10年10万kmストーリー」アーカイブ12

ジャズマンのハチロク

森村恭一郎さんとトヨタ・スプリンタートレノ(1985年型)
23年
33万4000km
写真・三東サイ

 群馬県伊勢崎市の目抜き通りを走っていると、日本ではないような光景が続き、とても面白かった。
 横に並んだクルマや対向車のドライバーに外国人が多いし、ポルトガル語の看板を掲げた店が少なくない。
「沖縄&ペルー料理」と看板を掲げたレストランで昼食を摂ってみたが、空間がどこか外国のものだった。
 沖縄出身でペルーに渡り、日本に戻ってきたという夫妻が切り盛りする店のメニューは豊富で、お勧めの臓物料理が美味しかった。そんな界隈でも、一本脇道に逸れれば、伊勢崎の歴史ある顔を覗かさせている。
 森村恭一郎さん(57歳)宅の蔵などは、築110年だ。先祖代々の土地に、きれいに手入れをされて、昔のまま残されている。
 その横の駐車スペースに、森村さんの1985年型トヨタ・スプリンタートレノが止まっていた。新車から23年間で33万キロあまり走っているとは思えないほど、きれいだ。
 リトラクタブル・ヘッドライトにファストバック・スタイルが時代を感じさせるが、赤い塗装は褪せていない。
「生産中止されてずいぶん経つことは知っていましたが、そこまでの人気とは知りませんでしたね」
 スプリンタートレノの人気ぶりを思い知らされたのは、今から7、8年前、約26万キロ走っていた頃のことだ。通勤途中で、突然、マフラーから白煙を盛大に吐き出した。
「霧が出たんじゃないかっていうくらい、あたり一面、真っ白になりましたからね」
 コンビニの駐車場から、車検や整備を任せているトヨタのディーラーに電話し、積載トラックに救助に来てもらった。工場に運ばれ、修理できるかどうか検証が行われた。
「あまりに煙がスゴかったので、“これでお別れになっちゃうのかな”って、覚悟はしていました」
 しかし、トヨタからの回答は、意外なものだった。
「こんなに状態のいいハチロクなんですから、乗り続けましょうよ」
 と言われたって、エンジンが!?
「今は、リビルドものが手に入りますから載せ換えましょう」
 ATK販売という会社が、AE86に搭載されている「4A-GEU」という1.6リッター4気筒エンジンを再生させ、販売していた。トヨタのディーラーが勧めているぐらいだから問題はないのだろうと、森村さんはリビルドエンジンへの載せ換えを承諾した。エンジン本体と補機類を合計した価格は、60万円。
「トヨタ・ディーラーの良心的な対応に感心しました」
 買い替えを促そうとしたって、ハチロクの後継になるようなクルマが今のトヨタにはないですからネ。
 スプリンタートレノに乗る前、森村さんはマツダ・ボンゴに乗っていた。ミニバンなんて洒落た言葉もなかった頃のワンボックスカーだ。
「リアのダブルタイヤが良かったんですよ。フェンダーが内側に張り出して来ないから、広いスペースができて楽器がたくさん積めました」
 今も変わらないが、森村さんはプロのジャズ・サックス奏者でもある。23年前は、バンドの楽器を全部、ボンゴに載せて、ライブ会場まで運ばなければならなかった。
 しかし、その後、メンバーたちは自身のクルマを持つようになり、各々ライブ会場入りするようになったので、ボンゴは必要なくなった。
「屋根がなだらかに下がっていく、ファストバックが好きなんですよ」
 ジャガー・Eタイプ、ポルシェ911、フェラーリだったら365でも512でも、BBが好みだ。ボンゴの前は、トヨタ・セリカ1600GT、日産チェリーX1に乗っていた。
「トレノを買う時、“鉄仮面”スカイラインGTも候補に挙がりました。でも、やっぱり、小型であることが大事ですね。小さくて、速いクルマ」
 トヨタのメカニックに乗り続けることを勧められた理由は、ダッシュボードやセンターコンソールなどのプラスチック類の劣化がほとんどないことだった。見せてもらうと、確かにキレいだ。ヒビ割れやシワなどがまったく見当たらない。内張りなども、同様だ。デジタル式のスピードメーターのフォントがひとつも欠けていないというのも、森村さんの自慢だ。しかし、運転席はレカロに換えられている。
「カー用品ショップで、たまたま見付けたんです。腰痛持ちの人のための“医療用”ですが、腰のホールド感がとてもいいです」
 一脚10万7000円に、トレノ用ステー代+工賃。オリジナルはヘタッてしまい、困っていた。フタをした空のペットボトルを盆の上に並べ、その上にタオルを敷いたものをヘタッたシートの座面の下に滑り込ませて対策していた。
「このレカロには、値段以上の価値を感じますね。違和感がないし、自然なポジションが取れる」
 高校では音楽を教えている。現在、勤務している県立高校は進学校だが、以前の高校は暴走族のメンバーやサボッて問題を起こす生徒がいたので、生活指導も担当していた。
 暴走族の集会に、トレノで出掛けていって、指導を行っていた。暴走族ならば、多少はクルマに興味があるわけだから、いくら指導とはいえ、トレノで来る先生には少しはシンパシーを抱いたのではないだろうか。
 シートを除いた内装のコンディションは良好だが、マフラーはサビてしまった。社外品の車検対応マフラーに換えてある。フロントサスペンションのトップ部分には、タワーバーも取り付けられている。
 フロント・バンパーも褪せていないのに驚いていたら、数年前に交換した新品だった。
「コンビニの駐車場で、予期しない位置にあった電柱にブツケてしまったんですよ」
 左側のフェンダーとバンパーを交換した。トレノは人気車だから、こういったパーツは、まだ残っている。
「このカーオーディオも、AE86用の取り付け用パーツが揃っていましたからね」
 パイオニアのハードディスク式カーナビ/オーディオ「カロッツェリア」には、CDをたくさん録音してある。
「曲に合わせてリズムを取ったりして、渋滞も苦にならなくなりました」
 クルマに限らず、何でも長持ちさせるという。服や時計などの身の回りのもの、本やLPレコードなども捨てない。1960年代に作られたセルマーのサキソフォンを取り出して、ソノー・ロリンズの「セントトーマス」を吹いてくれた。
「モリタートです。セントトーマスいきましょうか」
 どちらも傑作『サキソフォン・コロッサス』に収録されており、僕らと奥さんの恵里子さんの前で吹いてくれた。アドリブが挟み込まれた、森村さんの2曲だった。蔵の周囲は、バラやデイジーが咲く恵里子さんの作ったガーデンが広がり、森村さんのバンドのライブも行われることもある。魅力的な空間に、赤いトレノがアクセントになっていた。

 

『NAVI』誌2008年7月号より転載

いまは無き『NAVI』誌で、1990年3月号から2010年2月号まで、二度にわたって長期連載していた
「10年10万kmストーリー」は4冊の単行本にまとめられている。
しかし、まだ収められていないストーリーがたくさんあり、切り抜きを収めたスクラップブックを
ときどき引っ繰り返してはパラパラやっていると、その後のみなさんの様子が気になってくる。
変わらず元気に過ごしているのか?
まだ乗り続けているのか?
それとも、他のクルマに乗り換えてしまったのか?
蔵の中のオーディオセット。レコードプレーヤーは高校生の頃に購入したもの。
ドラムのペダルもビンテージ。クルマだけでなく、気に入ったものは長く使う主義

●トヨタ・スプリンタートレノとは?
 歴代のトヨタ・カローラ/スプリンター・シリーズに設定されていた、スポーティモデル。カローラ版は、レビン。AE86は小柄なボディにFRエンジンレイアウトを採用し、当時まだ高性能エンジンの代名詞だったDOHC機構を持つ4A-GEUエンジンを搭載していた。
 リトラクタブルではないヘッドライトやノッチバックスタイルのバリエーションもあったが、AE86が主役ばりの活躍をする漫画『頭文字D』は巻を重ね、映画にもなった。
 AE86の次のAE92はカローラ/スプリンター・シリーズ全体が前輪駆動化されたのに伴ってレビン/トレノの車名こそ引き継いだが、AE86ほどの人気を得ることはなかった。トヨタと、そのグループ入りしたスバルが共同開発すると伝えられている小型スポーツカーにAE86のイメージが重ねられている。

トランクルームにたくさん積まれている布は、楽器を包むため。演奏会に行く途中に傷つかないようにするためだ
next
前のページ
インサイト2
運転席はレカロ製シートに取り代えた

 

蔵とトレノの前で「モリタート」を吹く森村恭一郎さん