アーカイブへの再掲載の許可をもらうために末永圭三さんにメールを差し上げると、すぐに快諾の返信が来た。ちょうど年末年始休暇で出掛けたフランスとイタリアの旅から戻ってこられたところで、楽しそうな様子も綴られていた。
 マラネロのフェラーリ美術館ではピニンファリーナ展を見学し、工場の向かいのリストランテ・キャバリーノで舌鼓を打ち、レンタカーのフェラーリ・カリフォルニアまで運転して満喫してきた。
「フランス国内はシトロエンDS3のレンタカーで回りました。イタリアではフィアット500を予約していたのですが、手違いでルノー・トゥインゴが配車されてきた辺りはイタリアらしいですね」
 苦笑している末永さんの顔が思い浮かんでしまうのは、取材させてもらったフィアット・パンダが17年9万8000km乗る間で、散々に壊れ、イタリア車の故障の多さやイタリア人の仕事の進め方を思い知らされたことを聞いていたからだ。
 イタリア車とイタリア人を断罪しただけで終わってしまったら、ストーリーにはならなかっただろう。幸いメカニックにも恵まれ、故障を直しながら乗り続けていくうちに、イタリア車とヨーロッパ車の本質をつかむまでに至った。
「リストランテ・キャバリーノは良かったです。リーズナブルなのにクオリティが高く、大満足できました」
 20代中頃まで運転免許を持たずクルマに縁の薄かった末永さんが、どのようにして最終的にはマラネロでカリフォルニアのドライブを楽しむようにまでなったか?
 大袈裟でなく、人生をより積極的なものに変えることになったパンダとその他のクルマたちとのストーリーがあったからだった。

週刊・金子浩久 第14号 10年10万kmストーリーアーカイブ13回
(2013年2月10日発行)


「10年10万kmストーリー」アーカイブ13

60%から始まる

末永圭三さんとフィアット・パンダ1000Si.e.(1991年型)
17年
9万8000km
写真・三東サイ

 ナカミチという音響機器メーカーを、ご存知だろうか。
 1973年に発表された「ナカミチ1000」にはじまり、理想を追い求め、独創的な発想とメカニズムをふんだんに盛り込んだカセットデッキやレコードプレーヤーでオーディオマニアに熱狂的に支持されていた。
 僕も、カーオーディオのヘッドユニットをナカミチのものに代えたことがある。音質が素晴らしいのはもちろんのこと、操作性の良さに感心させられた。ほとんどの日本製カーオーディオのデザインがパチンコ台のようだった時代だったので、ナカミチの孤高ぶりは際立っていた。
 現在、デザイン・コンサルティング会社にCIディレクターとして勤務する末永圭三さん(45歳)は、20代の頃に勤めていたナカミチの先輩や上司、同僚たちの影響でクルマ好きになった。末永さんは、フィアット・パンダ1000Si.e.に17年間で9万8000km乗り続けている。
「ナカミチに勤めていた頃は、まだ運転免許も持っていませんでした。残業で終電に乗り遅れると、BMWの318iで通ってきていた法務部の先輩に送ってもらっていました」
 社内に、クルマ好きは多かった。上司は初代VWシロッコに、デザイン部門のトップはマツダ・カペラに、また、別の上司はいすゞ・ピアッツァと三菱ランサー・ターボを2台ずつ乗り継いでいた。
「先輩たちの影響から、23歳の時に免許を取りました」
 末永さんが免許を取ったことを知ったナカミチの人たちは、アレがいいんじゃないか、いやコレじゃないかと勧めてくれた。そのうちの一台が、VWゴルフTだった。ソノ気になり、色はモナコブルーに決めるまではいった。
「中古の相場が、120〜130万円ぐらい。でも、ゴルフTに乗っていた先輩から、“止めておけ”と停められました。三角窓が、何度も落ちたそうです」
 もう一台の候補が、フィアット・パンダだった。
「雑誌の『POPEYE』で紹介されていたパンダの、シンプルなエクステリアを強烈に憶えていました」
 ゴルフTの代わりに、今度はパンダが浮上してきた。
「“お前の安月給では維持し切れない”とか、“イタリア車はボディがサビ始めると床が抜ける”とか先輩たちから停められました」
 代わりに購入したのが、ホンダ・シティの最廉価版“U”。5年間シティに乗り、クルマの楽しさを知った。また、担当のホンダのメカニック氏と知り合えたことも大きな収穫となった。整備を通じて教わることが多かった。  
 それにとどまらず、次に買い替えたパンダの一回目の車検まで手伝ってくれた。整備を依頼し、できあがったパンダを末永さんが民間車検場に持っていった。
 パンダを購入した時には、ナカミチから数えて三つ目の会社に移っていた。その間に、結婚し、子供もふたり生まれた。クルマのことを教えてくれる人たちは身近にいなくなってしまったが、末永さん自身がクルマ好きになっていた。
「クルマそのものに、もっと関わっていきたくなったんですね。免許を取って乗ってみたら、面白かった」
 パンダへの想いは断ち難く、また、デザインしたジョルジェット・ジウジアーロのことを知っていくほど、どうしても欲しくなった。新車での購入は、当時の正規輸入代理店サミットモータースだった。
 免許を取って5年が経過し、もはや、クルマの初心者ではなくなっていた。だが、パンダからは強烈な先制パンチを受けた。
「購入したその日に、後席に子供を乗せるため、助手席のシートを持ち上げたところ、床の上にプラスチック製パーツ数点と丸められたメモ用紙を見付けました」
 いい加減な生産行程と品質管理を見た思いがした。
「パーツは明らかに何かの部品で、先が思いやられました」
 案の定、パンダはトラブルを連発した。
「赤坂見附の交差点で、シフトレバーのリンケージが外れて、身体が助手席に倒れ込んだ時は、頭が真っ白になりました。その後も、組み直しては外れての連続」
 トラブルは、いろいろ起きた。ピックアップコイルおよびイグナイターの不具合が数回、オイル上がり、タンクからのガソリン漏れ、フロントサスペンションのジョイントのガタ。 他にも、燃料ポンプ、ステアリングラック、ラジエーターなどが故障した。最近では、運転席ドアの鍵がシリンダーごと抜けて、交換。予想していた通りの、イタリア車ならではのトラブルだと失望した。
「でも、最初の5年間に発生したトラブルを処置してからは、むしろ調子は上がっていきました。60パーセントぐらいの仕上がりの状態が新車で、そこから手を入れながら安定していきました」
 赤いボディが艶っぽく輝いて見えるのは、降り出してきた雨のせいではなかった。2000年にボディを全塗装し、ふだんはカバーを掛けて駐車しているからだ。
 パンダに乗るうちに、ナカミチの先輩たちのように、末永さんはクルマ好き、それもヨーロッパ車の魅力に惹かれていった。奥さん用のローバー・ミニ、ランチア・デルタ・インテグラーレ・エヴォルツィオーネ2なども所有している。
「国産車は時間の経過とともに品質が下がっていきますが、手入れを施したヨーロッパ車は逆ではないでしょうか」
 先日も、長男用に買ったBMW318tiの、10年落ちとは思えない品質の高さに舌を巻いた。
「わざわざクルマで出掛けていく目的なんて、そうそうあるもんじゃありません。パンダはコンビニに行くのだって楽しいですよ」
 パンダはコストを削減するために、すべて平面の鉄板とガラスで造られている、と言われている。
「それは違います。ボディサイド面は、フロントドアを頂点にして、実は前後に湾曲しているんです。“それに気付いた時、平面に見えるよう”にデザインしたジウジアーロの計算し尽くされた技に目眩に近いものを憶えました。すべて平板を用いていたら、視覚的な緊張感を維持できずに、貧弱に見えてしまうでしょう」
 タイプの異なる他のクルマに乗りながらもパンダを持ち続けているのは、ジウジアーロのデザインに今でも勉強させられ続けているからだと、末永さんは謙虚に答える。
「パンダもデルタもミニも318tiも、みんな道具としての本質を突き詰めて造られています」
“本質を突き詰める”とは、ナカミチのモノ造りそのものではないか。
「ナカミチは、原点です」
 末永さんのカーライフだけでなく、デザイナーとしての現在に、ナカミチは確実に大きな影響を及ぼしている。しかし、2008年5月31日、ナカミチは国内販売を終了してしまった。残念である。

 

『NAVI』誌2009年2月号より転載

いまは無き『NAVI』誌で、1990年3月号から2010年2月号まで、二度にわたって長期連載していた
「10年10万kmストーリー」は4冊の単行本にまとめられている。
しかし、まだ収められていないストーリーがたくさんあり、切り抜きを収めたスクラップブックを
ときどき引っ繰り返してはパラパラやっていると、その後のみなさんの様子が気になってくる。
変わらず元気に過ごしているのか?
まだ乗り続けているのか?
それとも、他のクルマに乗り換えてしまったのか?
同じモルテンブランドのバスケットボールをジウジアーロが、サッカーボールを末永さんがデザインした。末永さんは“間接的に関わりを持てたのが不思議だ”と言っている

●フィアット・パンダ1000Si.e.とは?

 1980年から2002年まで生産されたフィアットのベーシックカー。さまざまなエンジンが搭載され、中にはモーターを用いた電気自動車の「エレッタ」やCVT装着車、4輪駆動版などもあった。本文中にもある通り、造形はジョルジェット・ジウジアーロによるが、彼は造形のみならず、ベーシックカーはどうあるべきかの機能面に於いてもコンセプト立案に関わっていた。
 モデルを大きく分けると、フロントグリルのエアインレットがオフセットしている前期型と、当時のウーノからクローマにいたるフィアット各車と同じモチーフの、黒いグリルにクロームの4本スラッシュを採り入れ、ボデイサイドに太いモールを付けるようになった後期型があった。末永さんは、後期型を好んでいる。
「ジウジアーロが原型を造り、その後にユーザーなどみんなで磨いたのが後期型です」
 ちなみに、現在、日本でも販売されているパンダは、本来、ジンゴという名前で生み出されることになっていた、まったく別のクルマである。

 

シートのファブリックの質感が末永さんのお気に入り
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サイドマーカーは本国仕様と同じ丸いものと交換した
取材の翌日に、わざわざ末永さんが送ってくれた画像。「ボディのサイドパネルが膨らんでいるのがご理解いただけますか?それに伴って、モールも湾曲しています」

 

雨の日のパンダと末永圭三さん